先日
大日如来の言葉で
『良いも悪いも、わたしから出るもの』
と言葉をいただいた
言葉がちょっと違ったかもしれないのだけれど
そして物事に良い悪いということでもないのだけれど
何か起きたとしてもそれは全て大日如来のはからい
良いも悪いもなく、
全て学びなんだと
全て愛なんだと
それをあーだこーだというものでもなく、
ただ物事が起きているだけで成長するためのはからい
全ては感謝なのだと
そう受け取りました。
もっと深いのかもしれませんが
人間は人間によって、辛く感じたり、落ち込んだり、悲しくなったりしますが
人間によっても、嬉しくなったり、励まされたり、成長できますね
なんとなくネガティブに引っ張られることも
何も起きてはいないのだけれど
そんな時に頑張ったり、楽しんでいる方とお会いしたり
久しぶりに会った方にとても喜んでいただいたり
そんなちょっとしたことで、すぐに気持ちがふっ切れる
旅に出た時はそれをよく感じます。
お遍路さんに出た時も、最後もうだめだぁー疲れたととぼとぼ歩いていたら、町の方が声をかけてくれるんですよ。
そしてお遍路さんに渡しているんですと言って、小さい陶器のお地蔵さんをいただいたり。
別の場所ではある場所を探しているのだけれど、見つからず、途方にくれて一人の方に声をかけていただくと、別な人を紹介してくれてあちこち案内してくれて、道なき道を通る時も。
フライト前、最後の1時間で見つかるという劇的なことも。
案内してくれた方もお話をした時にすでに何ヵ所か目星をつけていてくださって、ルート的に最後になったけれど、ここだと思っていたと。
その方にはなんの得にもならなかったんですよ。でも神様が住まう、神様を大切にされている場所の方はそれが当たり前のようにされている。
奇跡のようなことがたくさん起きるんです。
だから旅はやめられないのかもしれませんが。
人の中に神様がいらっしゃって
その時に一番言って欲しい言葉
一番必要なことを与えてくれるんだなと。
嫌なことを言われたとしても、それは自分が言わせたことかもしれない。そろそろ気付こうと
出会いもしかり
遠くに行かなくても、今そばにいる方は全て必要な方
そして自分の中にも神様が
自分を否定してしまったり、自分に嘘をついているとなかなか気づかないのだけれど
自分に対して真摯に向き合っていくと
どんどんその御働きを目にしていくことになります。
そんなわたしと他者
ありがたいものですね。
神様と神様の住まう
わたしとあなた
そうありたいものです。